開湯は嵯峨天皇の時代までさかのぼるとされる
岩瀬湯本温泉。
(近くには縄文遺跡もありますので、実際にはもっと古いはずですが)
その中でも、「星三兄弟」の末裔とされる
湯口屋旅館、星野屋旅館、角屋旅館は歴史が古く、
その建物は戊辰戦争時に焼失した後に再建され、
築140年という古民家でした(角屋は戦後に改築)。
これに分家星野屋旅館(現ひのき風呂の宿分家)の建物がなす、
茅葺き屋根の温泉集落の景観こそが、
この岩瀬湯本温泉のアイデンティティであると言えます。
しかしながら、持ち回りで屋根を葺き替える地域の仕組みが途絶えて久しく、
現在は各旅館で茅葺職人を雇い、
20年に一回ほど葺き替えを行なっています。
その額は、聞くところによると百万単位では済まないこともあるとか。
そして、茅葺き宿の景観は岩瀬湯本温泉の財産といえど、
旅館の所有者はあくまで個人。
いろいろ事情があり、この旅館は解体されることとなりました。
140年間の歴史が、2週間で更地になってしまいました。
この建物に関して、いまさらわたしがとやかくいうこともできませんが、
忸怩たる思いです。
現在、こうした古民家を活用して保存する取り組みが
全国で行なわれています。
湯本の「智恵子邸」もその一環ですが、
それで救える古民家の数には限りがあります。
いま、湯本で古民家を活用したある取り組みを準備中です。
うまくいくかどうかが分かるには、3年くらいかかると思います。
でもいまやらないと、湯本もただの過疎化の進む田舎になりさがってしまう。
もう少し悪あがきしてみます。
つづく
岩瀬湯本温泉。
(近くには縄文遺跡もありますので、実際にはもっと古いはずですが)
その中でも、「星三兄弟」の末裔とされる
湯口屋旅館、星野屋旅館、角屋旅館は歴史が古く、
その建物は戊辰戦争時に焼失した後に再建され、
築140年という古民家でした(角屋は戦後に改築)。
これに分家星野屋旅館(現ひのき風呂の宿分家)の建物がなす、
茅葺き屋根の温泉集落の景観こそが、
この岩瀬湯本温泉のアイデンティティであると言えます。
しかしながら、持ち回りで屋根を葺き替える地域の仕組みが途絶えて久しく、
現在は各旅館で茅葺職人を雇い、
20年に一回ほど葺き替えを行なっています。
その額は、聞くところによると百万単位では済まないこともあるとか。
そして、茅葺き宿の景観は岩瀬湯本温泉の財産といえど、
旅館の所有者はあくまで個人。
いろいろ事情があり、この旅館は解体されることとなりました。
140年間の歴史が、2週間で更地になってしまいました。
この建物に関して、いまさらわたしがとやかくいうこともできませんが、
忸怩たる思いです。
現在、こうした古民家を活用して保存する取り組みが
全国で行なわれています。
湯本の「智恵子邸」もその一環ですが、
それで救える古民家の数には限りがあります。
いま、湯本で古民家を活用したある取り組みを準備中です。
うまくいくかどうかが分かるには、3年くらいかかると思います。
でもいまやらないと、湯本もただの過疎化の進む田舎になりさがってしまう。
もう少し悪あがきしてみます。
つづく