天栄・湯本 でどやま物語

これは都会しか知らない若者(だった)著者が、研究で訪れた山村での暮らしに感化されて、地域活性化に取り組み右往左往する物語です・・・

Author:星 昇(ほししょう) 旧姓富田。

博物館学芸員、フリーカメラマンを経て
2009年に大学の研究員として福島県天栄村湯本に移住。
震災直後の2011年5月には地元の女性と結婚し、
「星昇」というベタなアイドルのような名前になる。
現在切り花用リンドウ農家をするかたわら、
地元密着型の写真館や地域活性化のNPOの運営に携わっています。

専門は植物分類学。里山の歴史と資源利用。ネコノメソウ命。

それでは、はじまりはじまり・・・

「関係人口」セミナー

昨年の、しかも秋の話になってしまって恐縮です。
11月22日から23日にかけて、
村主催の一風変わったツアーが開催され、
そこでお話しする機会をいただきました。

「関係人口ツアー」というものです。

scanned126

1日目の22日は「関係人口セミナー」でした。
「関係人口」という概念を提唱している一人、
田中輝美先生の講演と、湯本での取り組みの発表、
その後、首都圏からの参加者のみなさんと
ワークショップ形式の勉強会でした。

「関係人口」という言葉は少し前から知っていましたが、
どういうものかということまでは知りませんでした。

まずは田中先生の講演で勉強しました。

DSCN0662

まさにわたしです。
団地ではなかったですが、ベッドタウン育ち。
父は大阪、母は東京。
田舎とのつながりはほとんどありませんでした。

DSCN0661

これも納得です。
地域では否が応でも「個人」が埋没せずに表出します。
自分のしたことの反響がすぐについてくる。
よくも悪くもですが。

この2枚のスライドを見てふと思ったのですが、
現在のSNSブームで指摘される「承認欲求」の盛り上がりが、
実はこの辺りに根源があるのではないかと。

わが子が地域で育つようすを見ていると、
実の親はどうしても叱ったりすることが多くなりますが、
近所の大人やお年寄りからは、
注意を受けることもありますが、
褒められることが圧倒的に多いんですよね。

おそらく数十年前の社会では、
子どもはこうやってご近所や、同居の祖父母から
たくさん褒められながら育ったのだと思うのです。
そうすることで、叱られることと褒められることの
バランスが取れていたのではないでしょうか。

いっぽう現代は核家族の時代です。
満たされない承認欲求の発露が、
SNSブームを支えているのではないでしょうか。

そして、地域にはまだ生きた人間関係が残っています。
SNSにハマる若者ほど、地域で何か活動することを通じて
感化されることが多いのではないでしょうか。

ある意味「自分に欠けた部分を満たす」という
自己満足や自己実現的な、利己的な行動のようなものなので、
地域からは「なんでそんなものに付き合わなきゃならないんだ」
という意見もありそうです。

しかし、若者の自己実現のエネルギーを
地域課題解決に「利用」できると考えたら、
メリットに換えることができるかもしれない。

DSCN0660

無意識的とはいえ「承認欲求を満たしたい」という
利己的な動機だったとしても、
「地域の役に立ちたい」という思いを
無駄にするのはもったいないですよね。

そして若者の中で地域への関心が高まっていても、
なかなかどう関わっていけばよいのかわからない。

DSCN0664

少し前までは観光客として「交流」するか、
「移住」するかの二者択一だったので、
もっと地域と積極的に「関係」できる概念を作ろう、
というのが「関係人口」なのだそうです。

DSCN0665

地域としても、交流人口を増やすためのツアーを開催すると、
どうしても「おもてなし」に尽くしてしまいがちです。
それが一過性だとすると、地域の持続性にはあまり貢献しないうえに、
そのうちにおもてなし疲れしてしまいます。

それが極端な話、関係人口の人たちに
交流人口や移住定住を促進するためにどうしたらいいか
一緒に考え、行動してもらうことだって、
やりようによっては可能なわけです。

DSCN0667

このツアーを終えた後、
地域の同世代の人たちとやっている「湯本塾」でも、
この関係人口を取り込んでいこうという方針が出てきて、
みなの士気が高まっています。

そして湯本塾で議論していく中で、
関係人口の概念と企業のCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会貢献)
との相性がよいということがわかってきました。

地域で何か活動するときには、
どうしてもマンパワーと財源が問題になってきますが、
それを乗り越えることが、関係人口とCSRで
可能になるのではないかと感じています。

DSCN0668

わたしも10年前はよそ者だったんですが…
これからは新たなよそ者の力を募って、
持続可能な地域づくりに貢献していきたいと思っています。

ところでこの後のワークショップを通じて
個人的にはとても大きいと感じた「気づき」があったのですが、
長くなったので次回の記事にしたいと思います。

つづく


県内2紙に息子が掲載

4月8日は息子の入学式でした。
湯本小学校の新入生は螢一人。

一人というだけでも珍しいうえに、
父親が首都圏からの移住者だということで、
福島民友新聞の記者さんが取材してくれました。

↓クリックで拡大します
190409_民友螢S

人数が少なすぎて不安でないと言ったら嘘になりますが、
きちんと自分の意見を言ったり、
率先して自ら行動することができたりする
いまの湯本の小学生・中学生を見れば
螢も大丈夫だろうと思います。

子どもたちがそれを証明してくれています。

当然と言えば当然なんですよね。

人数が少ないから毎日日直・週番のようなものですし、
行事があれば司会や開会・閉会の言葉を言うし、
まわりは上級生や下級生、教職員のみなさんのほうが多いですし。

世代の違う人たちとの接し方が身に付くし、
必ず役に付くので度胸と責任感が身に付くし。
授業は個別指導ですし。

こんなにいい環境で子育てができて、わたしは本当に幸せ者です。

↓クリックで拡大します

190409_民報螢
 
実は5月には、やはりこの湯本の教育環境がすばらしいということで、
首都圏から親子が湯本集落へ移住してきます。
螢としても下級生ができるので、
本当にこれはうれしいことなのですが。

こうした流れが続いて、
湯本の環境が持続的になるよう、
わたしも公私ともに協力していきたいと思っています。

つづく

近況など

まあずいぶんブログを放置しました。

この冬から春は天候が微妙でしたよね。
そのせいか気分が沈みがちで…

仕事は郵便局、警備、写真館(卒業アルバム)、
水道の検針などいつものルーティン。
それだけで日常が過ぎ去っていく感じです。

とにかく警備一人体制に郵便局勤務というのは
厳しいですね。

ゆうパックなどは夜間配達依頼もけっこうあるのですが、
夜は警備が入っているのでそれはできず、
結局あまり役に立たず。
「こんなはずじゃなかった」と思われていることでしょう。

YPS_5283

実は3/30で湯本に移住して10年になりました。
この日もふつうに郵便配達していましたが。

本来であれば記念すべき日なのかもしれませんが、
そういう気持ちにはなれなかったですね。

10年前、仕事を辞めて、しかもリーマンショックで
仕事がなく、半分やけくそで移住してきた湯本。
住み始めて山村のすばらしさに触れ、
地域をなんとかしたいと奮闘したその後。

まあ結果は若者の流出でわが子の同級生もいない状況。
結局自分は何かできたのか。
いてもいなくても変わらなかったのでは。

前の職場を辞めたときと同じような感想です。

心が腐ってるんですよね。
腐ってる暇があったら状況を好転するように
何か動き出せよと。
わかっているんですけど、なかなか。

DSCN0828

そんな状況で藁をもつかむ思いで、
2月に宮城県に出かけました。
そこで仙台の恩師と話をしたり、
川崎町というところで自分より10歳も若い人たちが
山村で新しいプロジェクトを立ち上げている
現場を見てきたりしました。

これがなかなか刺激的で、
また後日記事にしようと思っているのですが、
そこで「星さん、もったいないです!」と
いろいろな人から言われました。
「これからも川崎に来て教えてください!」と。

このところ、「やってくれる人がいないのでお願い」
という仕事ばかりやっていたので、
久しぶりに自分のやってきたことが評価されて、
純粋にうれしかったです。

湯本にいると、
これまで結果がついてこなかったせいもあるのですが、
最近はまったく頼りにされないんですよね。
家族からも、地域の人たちからも。
「期待してないから」と言われる。
これがいちばん堪えるんですよね…

YPS_2000

自分も単純なので、嘘でも「期待してる」と言われれば
調子に乗ってモチベーションが上がるんですよ。
だから、これからはモチベーションを得るために
積極的に地域外に出て行こうと思っています。

そのためには仕事に余裕ができないといけないですが、
ちょうど4月から警備が二人体制に戻ります。
これで週1日はきちんとした休みができ、
二人で融通して連休を取ることもできます。

それから、昨年地域であった動きの中で、
地域活動の資金を獲得するアイデアが
出てきて、これを活用できないかと、
自分としても検討しているところです。

たとえば地熱活用ハウスも現状維持ではじり貧なので、
増棟、障がい者雇用促進のために、
資金を調達できないかなとか。

アイデアはあるんです。
仕事の掛け持ちで収入も比較的安定しました
(といっても月15万円ほどですが)。
あとはモチベーションの問題なのです。

4月になり仕事の休みが取れるようになりました。
1か月ほどかけて、モチベーションの回復に
努めたいと思います。

次の10年後は、少しでも状況が好転しているといいなあ。

つづく

幻の美女木ジャンクション

急に毛色の違う話題になって恐縮なのですが。

わたしは小学生のころ(30年前)から「道路マニア」、
とくに「インターチェンジマニア」を自認していました。

たまたま父が持っていた道路地図に、国道254号線の英インターや
首都高速の江戸橋インター(当時はジャンクションとは呼ばなかった)の
航空写真が載っていて、その機能美に魅了されたのです。

いまでこそ、昔からあった「古道」や「旧道」趣味だけでなく、
「険道」(険しい県道)や「酷道」(酷い国道)などの
新しいことばも生まれ、ネットの普及とともに
「道路趣味」自体が市民権を得てきた感があります。

ただ、子どものころは周囲に同じ興味を持つ人などおらず、
「我ながら変わった趣味だ」と思っていました。

図書館に行っては市の都市計画図を閲覧して、
「この妙に幅の広い道は、将来国道のバイパスにつながるんだ」とか、
「ここに新しく高速道路ができるんだ」とか、興奮していました。

「首都高のイカの耳」というものがあるのですが
(説明が長くなるので興味のある方はネットで検索してください)、
その存在にも子どものころ気づいていて
(当時はまだそんな呼び名はなかった)、
中央環状線が板橋から江北までつながったときに
そのイカの耳が活用されて、「スゲェ!」と興奮したものです。

まあその興味の中で、実家に近い場所にある
「美女木ジャンクション」が今回の話題です。

名称未設定 1

美女木ジャンクションは道路好きの間では
有名すぎるくらい有名なジャンクションで、
国道17号新大宮バイパスと、併設の首都高5号線、
東京外環道(国道298号と高速)の交差点です。

地上と高架がそれぞれ立体交差するため、
「全国初の5層構造のジャンクション」といわれ、
また首都高と外環自動車道の交差には
高速の交差としては異例の信号機による十字路が
設置されるなど、完成時にはたいへん注目されました。

わたしは小学2年のときにそこそこの大病をして、
月に一度、浦和の自宅から板橋の大学病院へ通院していたのですが、
そのとき父の運転する車の助手席から、
この美女木ジャンクションができていくサマを
見続けることができました。

そして完成が近づいたころ、たいへん失望したのです。
「なんだこの貧相なジャンクションは」と。
(建設に携わった人には失礼ですが、
小学生(当時)のことですのでご容赦ください)

それはなぜかというと、美女木ジャンクションには
高速道路のジャンクションの形で一般的な、
クローバー型のランプウェイを持つジャンクションが
設置されるものと思っていたからです。

それも勝手な思い込みではなく、
子どもなりに根拠がありました。

それは、下の図の矢印の部分です。

bijogi1


新大宮バイパスに並行する市道に、
不自然なカーブがあります。

このようなカーブは、本線から分岐するランプウェイの
土盛りや橋脚をよけるために作られることが多いです。
とくにこの並行する道は、新大宮バイパスに伴う
周囲の区画整理によって作られたということが
想像されたので、なおのこと小学生は
「きっとここにはカッコいいジャンクションができる!」
と確信していたのです。

当時の想像はこんな感じ。

bijogi2

そのため、美女木ジャンクションは当初の計画から
構造を大幅に変更して建設されたのだと考えるようになりました。
理由は言うまでもなく、周囲の市街化です。
いかにコンパクトなジャンクションにするか、
という方向に変更され、それが5層構造という
変則的なジャンクションになったのだろう。

そう考えた小学生なのでした。

その後、道路趣味が一般化するとともに、
「美女木ジャンクション」でネットを検索すると、
膨大な情報が手に入ります。

しかし、だれもこの「幻の美女木ジャンクション」を
語る人がいない。
そこで、ここ数年、子どものころの仮説を立証しようと
コソコソと調べていました。
でも核心に迫るような資料は手に入りません。
数十年前の首都高や外環道の計画の資料など、
どうすれば手に入るのか。

そこで古い航空写真を漁ってみました。

1960年代の美女木付近の写真です。

名称未設定 4

中央を南北に曲がりながら走る道がある以外は
幹線道路などはない田園風景が広がっていたようです。

それが1970年代になると

名称未設定 3

新大宮バイパスが開通し、周囲の区画整理も行なわれました。
以前あった道路はズタズタになっています。
そして、件のバイパスに並行する市道は、
やはりこの時期に作られていました。
区画整理なのだから、もしランプウェイの計画がないのであれば、
まっすぐでよいはずのところに、わざわざカーブがあります。
外環道の部分も空き地が続いていて、
用地買収されていることがわかります。

そして現在。

名称未設定 2

何事もなかったかのように、十字路型のジャンクションがあります。

航空写真の比較でわかったことは、
やはりバイパスに並行した市道は、
バイパス建設と同時期に区画整理で造られた道で、
わざわざカーブを作る理由があったのだろう、
ということまででした。

まあ福島にいながら埼玉のことを詳しく調べるのも難しいし、
わざわざこのことだけのために埼玉へ行くのも無理だしなあ、
と思っていたら、Twitterで情報が手に入りました。

クニヒロ@JOBAN_EXPWYという方から、
このような新聞記事を提供していただきました。
1993年5月31日の朝日新聞の記事だそうです。

IMG_20180824_192840~2

記事の中で、
「1985年の都市計画決定時には用地買収は難しいとの判断から、
クローバー形立体交差を断念。上の首都高と下の外環道との間に
十字型の連絡路を設け、平面交差にすることになった。」
とあります。

やはり当初はクローバー形の計画があったということです。

ただ、これが並行する市道のカーブと
関係するのかどうかまではわかりませんが、
小学生当時考えていた
「美女木にはクローバー形のジャンクションが計画されていた」
というのは間違いではなかったのです。

30年越しでそれがわかっただけでよかったです。

こういう道路への興味が、
湯本のトロッコ道探索や旧蝉峠の探索、
天栄村内の伊能忠敬日記から当時の村の
植生の記述発見等へ繋がるわけで、
人間何が役に立つかなんてわからないものです。

福島県内でも変な道を発見しているのですが、
これを掘り下げると黒歴史が見えてきたりして、
記事にしようかどうしようか迷っていたりもするのですが…

つづく

マイカーの整備

11月の終わりに、これまでのファミリアS-ワゴンに替わって
アルテッツァジータがやってきました。

色が目立つこともあって、集落内では
「車名なに?」「あれ外車?」「メーカーどこ?」
と何回も訊かれました。

車名:アルテッツァジータ
生産国:日本
メーカー:トヨタ
です。

YPS_3161

たしかにメーカー名もメーカーエンブレムもどこにも付いていません。
改造したからとかではなく、
もともとこのジータのベースとなったアルテッツァ(セダン)は、
まだ国内でレクサスブランドを展開していなかったトヨタが、
海外でレクサスISとして発売したものを、
国内向けに名前を変えて販売したものなのです。

アルテッツァは98年に発売され、そのハッチバック版「ジータ」は
2001年に登場。
2005年には二代目レクサスISが国内でも発売されたため、
アルテッツァはこの一代限りで名前がなくなりました。

YPS_3178

車好きでは知らない人はいないですが、
一般的にはマイナーで、しかもジータは不人気だったために希少です。
ファミリアS-ワゴンもマイナーでしたが、
街で見かける数でいったら、ジータの方が少ないかもしれません。

しかも黄色は全体の1%ほどしか生産されておらず、
全国でも数十台、現存しているものは20台もないのではと思います。

YPS_3186

最初のマイカー、スプリンタートレノは青で、
2台目のファミリアは赤、
3台目のアルテッツァジータは黄色。
信号か?

まあ目立つから悪さはできないですが、
出かけた先の駐車場で車を探すまでもなく目に入るのは便利ですよ。

とにかく不人気だったので、年式が古いこともあって
中古ではかなり安く手に入りますが、
購入した車は走行距離が6万キロとすくないのですが、
内装や外装に痛みが多かったため、なおのこと安く買えました。

金もないので、内外装や電装系の更新は自力でやります。
カメラの修理に比べたら怖くないです。

まず最初に気になったのが、ダッシュボードのベタ付きです。

DSCN0573

アルテッツァの後期型の持病として有名なのですが、
表面のゴム塗装が劣化して溶け、こすると削れて傷になるうえに
ホコリが不着。服に付いたら落ちません。

YPS_2872

ナビも古いしもともと使わないので、小物入れに交換したい。

納車後、時間を見つけて直していきます。

ダッシュボードのベタ付きは服が汚れるので、
早速分解開始。

ナビを外します。

YPS_2873

オーディオからセンターコンソールも外します。

YPS_2874

本当はハンドルを外した方がやりやすいのですが、
ファミリアと違って特殊な形のレンチが必要で、あきらめました。
2時間くらいかけて、ごっそり外しました。

YPS_2888

べた付きはエタノールで落とせます。
これまた2時間ほどかけてこすり落としました。

YPS_2887

その後、つや消し黒のラッカースプレーで塗装。
乾燥させた後、元に戻していきます。

きれいになりました。

YPS_3166

よく見ると粗がありますが、ふつうに乗る分には誰も気づかないでしょう。

YPS_3169

ナビがあった場所には、フタつきの小物入れを付けました。
ネットオークションで中古品を手に入れました。

YPS_2893

オーディオパネルをバラしたついでに、オーディオの移植と
USB充電ソケットの増設も行ないます。

どんな車にもスイッチパネルの空きがありますが、
そこにUSB充電ソケットを増設するキットです。

YPS_2879

オーディオの下のETCの横に、空きパネルがあるので、
そこに入れてみましたが、引っ掛かりがあってハマりません。

YPS_2880

やすりで削ってぴったりになったので、
エポキシ樹脂で固定。

YPS_2882

エアコン吹き出し口の下にも空きがあったので
こちらも少し加工してはめました。

YPS_3145

オーディオ下はシガーライターから、
エアコン吹き出し口下はヒューズボックスから
それぞれ電源を取って、ケータイを繋ぐと。

YPS_2971

きちんと充電できました。

オーディオは純粋にオーディオしか使わないので、
ファミリアで使っていたものを移植。
配線が面倒でしたが、ネットで調べてなんとかできました。

p2

しかしスペーサーのできが悪く、隙間があります。

p3

いちばん安いドアモールを買ってきて、

DSCN0693

隙間にはめ込みました。

DSCN0695

自分の運転を律するために付けているドライブレコーダーも、
ファミリアから移植。
電源はオーディオ裏のアクセサリー電源を分岐しました。

p4

ヘッドライトもレンズが劣化して曇っていたので、
クリアな中古品に交換。

DSCN0673

雪でよくわからないが…きれいになりました。

DSCN0678

狭い場所でラチェットレンチ使ったせいで、
手が傷だらけになりましたけど…

ドアバイザーも中古を入手。

YPS_3141

でもジータ用が見つからず、セダン用を流用したので、
リアドアは微妙に形があってません。
まあこれもだれも気付かないでしょうが。

YPS_3143

これでエアコン使わずに走れます。

気温が低いので本格的な外装直しは春まで待つとして、
樹脂パーツ部分の塗装が色あせていたので、
部分的に塗りなおしておきました。

ミラーカバーとか、ドアハンドル、リアスポイラーなどです。

YPS_2935

ワイパーアームも塗装が劣化して錆びていましたので、

DSC_0191

簡単に掃除して、つや消し黒塗装。

YPS_3216

(ワイパーだけ)まるで新品のようになりました。

YPS_3218

ナビを取り払ったのに「○○県に入りました」という声だけが聞こえるので、
ナビ本体も取り払うことにしました。

ナビ本体はトランクの内張を外すとあります。

YPS_3219

ナビを取り払ったところ。
この状態だと、ナビの音声を噛ませてある
オーディオの右スピーカーが鳴らなくなります。

YPS_3220

それもネットで対策を調べたところ、
配線4本を短絡させることで聞こえるようになりました。

YPS_3221

ナビのリモコンがあったところには、カップホルダを取り付け。

YPS_2949

アンテナも劣化してボロボロだったので交換。

YPS_2898

湯本写真館(YPS)のステッカーも。
以前は業者さんに貼ってもらっていましたが、
今回は大きさを控えめにして、自分で発注したら、
それまでの1/10くらいの金額でできました…

YPS_2953

駆け足でしたが、納車時よりだいぶ快適に乗れるようになりました。
まだまだ細かい部分で直したいところがあるのですが、
パテ盛りや塗装は温度が必要なので、春までおあずけです。

また、FRなので雪道の運転がどうかと心配でしたが、
意外と今のところ大丈夫です。
下り坂などはかえってFFより安定しているくらいです。
いざという時のためにチェーンも用意していますので、
大丈夫でしょう。

ファミリアはエンジン不調が心配で乗り換えましたが、
このアルテッツァの1G-FEというエンジンの
耐久性は有名です。
車両も品質のトヨタ車ですから、
長く乗れるように(といってもすでに15年落ちですが)
大事に乗りたいと思います。

つづく

英国村に残る旧日本陸軍の戦争遺構

郵便配達では毎回集荷に訪れるブリティッシュヒルズです。
神田外語大学が運営する、語学研修施設・観光施設で、
敷地内はさながら英国村。

そういえば螢と行ったことなかったなと思い、
2人で訪れてみました。

YPS_2777

螢はイギリス風の街並みに興奮気味ですが、
わたしの目当ては実はほかにあります。

これです。

YPS_2788

これは「観的所」の残骸です。
ブリティッシュヒルズや周辺の別荘地は、
戦中まで旧陸軍の軍馬を育てる放牧場でした。

軍馬の需要が減った後は、主に砲弾の射撃訓練場となっており、
砲弾の着弾を目視で確認するのがこの観的所だったのです。

YPS_2796

いまは木が茂っていますが、かつては牧場ですので
このドームの中から砲弾が飛んでくるのを見ていたわけですね。

YPS_2802

わたしが湯本に移住するきっかけになったのが、
実はこの陸軍の放牧場に関する研究でした。

下の写真のように、この地区には放牧場の土塁が
いまでもたくさん残っており、これも調査したのですが、
観的所が残っていると知ったのは湯本へ移住後で、
今回初めて見ることができました。

YPS_2803

かつての日本の軍の遺構が、連合国であるイギリスを模した施設内にある、
というのはなんとも屈折しておりますが。

螢にも説明しましたがいまいちピンと来てないもよう。
施設内の喫茶店でケーキを食べてご満悦。

YPS_2811

ブリティッシュヒルズ内では英語しかしゃべってはいけないことになっており、
螢も「Thank you!」といってお店を出ていました。

YPS_2781

ブリティッシュヒルズへいらっしゃる際は、
ぜひこの観的所もご覧になってみてはいかがでしょうか。
場所はあえてお教えしません。
園内の散策がてらどうぞ。

つづく

湯本温泉八幡神社例祭

11月15日は、湯本の温泉八幡神社(ゆぜんさま)の例祭です。

YPS_2266

五反旗の先には菊の花が飾られます。

YPS_2267

湯本の温泉に感謝するお祭りですが、
湯本幼稚園の七五三参りも兼ねています。

YPS_2273

うちの子もお参りしました。

YPS_2278

祈祷が終わったら集まった人たちに餅まき。

YPS_2294

自分たちの集落の温泉を守るためのお祭りなので、
まったく対外的に告知したりしていません。
でもこういうことがいちばん大事なんですよね。

地域に生きるということは、こういうことなのだと思います。

つづく

湯本幼稚園の防火パレード

11月14日、湯本保育所時代から恒例の、
湯本幼稚園幼年消防クラブによる防火パレードが
湯本集落内で行なわれました。

YPS_2244

在籍児童2名ですが、二人とも大きな声でがんばっていました。
動画もどうぞ。



超少人数教育、個別指導、世代間交流。

YPS_2261

待機児童ゼロ、田園回帰、田舎暮らし、移住定住。

湯本は時代の最先端を行っていると思います。

つづく。

湯本文化祭

まだ11月の記事が続きます。
どんだけサボっていたのかという。

今年も湯本文化祭は盛大に開催されました。
湯本地区合同運動祭とこの湯本文化祭は、
湯本地区の世代間交流を象徴する温かい催しです。

わが子ものびのびと演技していました。

YPS_2084

いまになってヒーロー戦隊モノにハマってます。

YPS_2096

なぜかルパンレンジャーとドラえもんが芋ほりをするという劇。

YPS_2101

わたしはというと、撮影とピザ体験とバンド出演でてんやわんや。

YPS_2188

去年からじゃまな木切っ会で始めたピザ体験。
今年はよりスムーズにやれるよう、万全の体制です。

YPS_2181

ブルーベリー農家上野さん提供のブルーベリーチーズピザも美味。

YPS_2190

薪で熱した窯では、あっという間に焼きあがります。

YPS_2199

こんな感じで体験してもらったのですが、
出し物が押した関係で昼休みが短くなり、
みなさん昼食を食べるのに精いっぱいで、
ピザ体験をする時間がなかったようで…

YPS_2193

食材がかなり残ったので各自持ち帰りました…
来年に期待。

バンド五ツ星は今年も出演しました。

IMG_9405

陽介君、風邪でのどの調子が悪いはずなのに熱唱。

IMG_9417

わたしは細川たかしをドラム弾き語りで熱唱。

IMG_9440

五ツ星はゲストミュージシャンを毎回呼んでいますが、
今回は村のアシスタント・イングリッシュ・ティーチャーの
2人を招いて、ABBAのダンシング・クイーンを
歌ってもらいました。

IMG_9482

予定が合わずバンドとは一度も合わせられなかったのに、
ぶっつけ本番でなかなかの完成度でした。

IMG_9489

ゲストはもう一組。
わたしも一緒にやっている「湯本塾」メンバーが、
福島県内で活動する歌手AVE(エイヴ)の「福の歌」を
湯本版の替え歌で披露。



ドラムとギターには小学校の先生2名も加わっていただき、
わたしはベースを初披露。

IMG_9499

今年も温かく盛り上がった文化祭なのでした。

湯本文化祭は地域の人たちの工芸作品や農作物の展示があったりしますが、
やはりメインは幼稚園、小学校、中学校の発表です。

実は「バスで通えるなら地域に学校はなくてもよいのでは」
という意見が湯本の中にもあるのですが、
学校がなくなるということは、芋づる式に
こういう行事もすたれていくのだと思うのです。

やはりいいものはいいと、発信し続けていきたいと思います。

つづく

みちのく薪びと祭に参加

薪に関わる人、薪びとが集うイベント、
第5回薪びと祭は、秋田県能代市が会場でした。

実はわたしは当初企画から関わっていたのですが、
その後警備が一人体制になったり、
イベント1日目に写真の大口の仕事が入ってしまったりして、
結局2日目のみ日帰り参加になってしまいました。

写真の仕事が終わったのが夜の11時ころで、
それから出発して、現地に着いたのは朝の8:30でした。
眠い。

DSCN0605

ここは能代市二ツ井地区。
二ツ井宝の森林(やま)プロジェクトのみなさんの、
抽選会のようすを見学させてもらいました。

DSCN0610

会で管理している山の、どの区画を伐採するかを
抽選で決めるのです。

DSCN0622

区画にはこのように番号が付けられており、

DSCN0638

抽選で決められていくのです。
作業道に近い場所、傾斜の緩い場所などが人気だそうです。

DSCN0621

木の伐倒の実演も。
切ったとたんにみな集まってきて、議論が始まります。

DSCN0634

木を通じて、初対面でもこれだけみんな盛り上がれるという。

DSCN0635

印象深かったのは、山や地域をこうしていきたい、という
ビジョンをしっかりと持って活動していたことです。
毎度ながら、刺激の多いイベントです。

DSCN0640

もし初日から参加できていたら、岩手県遠野のみなさんと
「まきまきロック」の演奏で盛り上がっていたはずなのですけどね…

今年は青森県が会場とのことで、
スケジュールと体調を整えたうえで参加したいと思います。

つづく
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • 家族でいろいろ文化体験
  • 家族でいろいろ文化体験
  • 家族でいろいろ文化体験
  • 家族でいろいろ文化体験
  • 家族でいろいろ文化体験
  • 家族でいろいろ文化体験
でど物 on Twitter
月別アーカイブ
でどやま内検索
  • ライブドアブログ